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Summerhill Schoolはイギリスにある6〜18歳の子どもに対応している民主制度の寄宿学校。1921年にA.S.Neillが創立して、「世界で最も歴史が長い子どもの民政コミュニティ」とも呼ばれている。2005年に私は1週間滞在して本当に感動的な学校だと思った。子どもは自由いっぱいの環境の中に生き生きとしていた(一日中木を登ったり自転車で走って回ったりする子もいた。)民主制度のスクールミーティングでは、スタッフと子どもの平等的な関係を見て驚きさらに感動した。
スクールの光熱費が増えている問題についての討論で、校長のレッドヘッド・ゾーイ(A.S.Neillの娘)は「暖房をつけているのにfucking窓を開けているなんてfuckingとんでもないよ!」と発言した。非常に激しい「fucking」という言葉を子どもに向けて発言するのは英語圏ではタブーだが、ゾーイは子ども目線で子どもたちに問いかけ子どもと対等の関係で自分の意見と気持ちをストレートに言っていた。
滞在したときにただ一つの疑問があった。寄宿学校で子どもたちは幸せに過ごしていても、親に会えなくて寂しいのではないか思った。今でも子供が大人になるためには親子の関係はとても大事だと思ってので、サマーヒルのスタッフ、レッドヘッド・ヘンリー(ゾーイの息子、A.S.Neillの孫)のAPDEC2016キーノートスピーチで子どもは親から離れて学校に泊まった方がいいと促すことを聞いて、とても興味を持った。
ヘンリーにとって、親の管理(じゃま?)なしで生活するのはサマーヒルの大事な原則一つ。友達と一緒に部屋で泊まって、ゲームしたりお菓子を交換したりする楽しさを述べた。こっそりベット担当(寝る時間などを管理する年長の子)から逃げて夜中に出かけたりしたのは、人生の中で何よりも楽しかったとも言った。ある研究によって大人が幸せかどうかを最も示すのは、学歴や収入、社会経済階級ではなく、子どもの頃に幸せだったかどうかだという実証が出た。子どもの時に幸せになればなるほど大人になっても幸せになるなら、サマーヒルぐらい楽しんだ方がいいのかもしれない(収穫逓減の法則も適応するかもしれないが・・・)
ヘンリーは、私の”ホームシック”の疑問も触れた。子どもが電話で泣いていたので心配して親からたまに電話が来るとヘンリーが言った。ゾーイは「まぁ電話では泣いていたかもしれないが、学校では一日中木登って弾けているんですよ!」と安心させてあげるそうだ。つまり電話ではホームシックで泣いたかもしれないが、本当はサマーヒルを楽しんている。
私は関わっている学校(※現在関わっていないです)では、これと関連している経験も最近あった。毎日お家に帰って「いじめられている!」と泣く子どもがいた。確かにある子との間に少し意地悪があったが、スタッフには意地悪される事以外は学校をとても楽しんでいるように見えた。この感情の起点はどこだろうかを別の投稿で検討してみるかもしれない)
グレー・ピーターさんもキーノートの後のオープン・スペースで似たような話をした。子どもたちの本当に必要なのは、子どもの遊び仲間だと延べた。無意識で子どもは本能的に学びのために繰り返しの遊びを要求しているので、その繰り返しを上手に提供ができるのは同じように繰り返しを要求している子ども同士。逆に我々大人はどうしても繰り返しが疲れる。実は、狩猟採集民の社会で大人はそんなに子どもと遊ばないそうだ。
これは私の経験と共感する。私の子供や学校の子たちと一緒に時間を過ごすのが好きで、最近はテニスやキャッチボール、ドッジボールなど運動的な遊びなら楽しい。もちろん遊ぶ気がない時もある。ブーが5歳の頃、公園でブーは創造的遊びで葉っぱを集めて偽物の焚き火を作ろうとしていたが、私にはこの遊びはつまらなくやる気がなかった時「ダダはもうこの遊びはやめるんだね」と言いブーはご機嫌に一人でこの遊びを続けた。ピーターとヘンリーの話を聞いた時にブーがあの時、要求していたのは私ではなく子どもの遊び相手だったんだと気がついた。確かに学校ではこのような遊びは一日中続く日もある。子どもがお互いを楽しませるから大人の遊び相手は必要がない。
ビーチに行く準備をしているとブーは「他の子どもは来るの?」と聞いてくる。家族だけでも楽しめるが、他の子どもとも遊びたがっているので、友達を誘って行く事も多い。だいたいの行動パターンは子ども同士で遊び、私達大人はお喋りしている。私の個人的な行動パターンはシュノーケリングやパドルボード、散歩など一人でも楽しむ。もっと子どもたちと接するべきだと後ろめたく思っていたが、ピーターの話にとって大事なのは子ども同士で遊ぶ事。狩猟採集民のパターンを考えると、私は42歳の男にとって自然的な行動パターンなのではないか。逆に、後ろめたく思う気持ちは社会から来ている。(皮肉的に、私は教育や子育てに専門的に関わっているから余計に後ろめたく感じているはず・・・苦笑)。あと私は、自由教育で小さい子たちと長く接しているのに本当は年長の子との方が気が楽な理由なのかもしれない。ピーターとヘンリーの話を聞いて、ちょっと後ろめたく思っていたことも安心した。
私は”大事なのは子ども同士で遊ぶ事”だが親子の関係も大事だと思っている。サマーヒルは6歳から入学ができる。うまく行くと言っているのを否定せずに、幼い頃から親から離れて過ごすのは何かが欠けてしまうのではないかと心配だ(先ほどのホームシックの子はスクールでの時間を楽しく過ごしているが、ホームシックの感情がある事も否定したくない)。ヘンリーの話によると同じ心配をしているのは私だけではない。ほとんどの親は子どもを長い間スクールが預ける事を渋るそうだ。私も正直ブー(現在7歳半)をサマーヒルに送ることはしたくない(もっと大きくなったら可能性はあるが…)。私は子どもが親から離れて自由に遊ぶ権利を100%賛成しているが、スクール以外の時間を家族と過ごす事にも大きな価値があると思うから今は(特に小さい子には)昼間学校がいいと思っている。これは狩猟採集民の子どもが一日中森に遊んで、夜キャンプに戻るパターンも反映しているはず。
時々ワンダーワイフは子どもと実家に泊りがけで遊びに行く。私は一人平穏な時間を楽しもうとするが、家がこんなに静かだと時には寂しくなるの。もしブーが2ヶ月ごとにサマーヒルで過ごす事になるなら私は父親として寂しいはず。毎日子どもたちの笑顔を見るのは楽しいし、機嫌が悪いのを上手く対応するのも楽しい(そのおかげで、よりいい人間になっている・・・まぁ、そのプロセスは最中だけどね)。
友達から15歳ぐらいになると家族で過ごす時間が少なくなると聞いた。ブーは15歳までもう半分切っている。ずっと子どものままではない事を最近意識してきた。だから今の時間を思い切り楽しみたい。これは子どものニーズではなく、確かに私のニーズだ。だが子どもが独立を要求し私は一緒の時間を要求している昼間学校が私達にはいい妥協案だと思う。 (サマーヒルの学期は2ヶ月/年3回だから一年の半分は家族で過ごせるから人によってはそれもいいかもしれない)
ヘンリーの話を聞いて、改めて子どもの独立感を尊重してきた。昼間学校で、サマーヒルを例にして長い期間の遠足やサマーキャンプがあってもいいかもしれない。私が思っているより最近子供達は独立してきている。親の立場でこれに水を掛けないように気をつけることが大事だと改めて感じる。一番いい方法は交渉なのかもしれない。例えば近くに住んでいる子たちは放課後に公園へ行ったりする。天才門家は少し遠いので親が送り迎えをしている。最近ブーが放課後に公園へ行きたがっているから、話し合い迎える時間を遅らし公園へ行けるようにした。
最後に先週の木曜日、いつもは学校の駐車まで送っているがブーは途中で降り自分で学校に歩きたいと言った。小さかった頃は何かあるとすぐ親に泣きすがっていたが、最近は自信を持ち独立してきて「大きい子のように」一人で学校に歩き出すのを見ていて思わず写真を撮っちゃった。
これからこんな瞬間がいっぱいやってくるはず。そして「あっ!もう独立している大人だ」と気がつく日が来るだろう。その時までその小さい一歩ずつのプロセスを楽しむ・・・
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